新しい年の初めに思うこと

2023年が始まりました。

みなさま、あけましておめでとうございます。どのようにお正月をお過ごしでしょうか。

今年も“ひまわり心理社会相談室”をよろしくお願いいたします。

前回の記事をアップしたのが、2022年1月4日。なんと!1年間放っていたことになります。みなさまに読んでいただくことも少ないサイトですが、それにしても放置し過ぎました。申し訳ありません。今年はもう少し更新できるように頑張ります。

さて、前回の記事「親の老いと向き合う」のその後ですが、母親は現在老人保健施設にお世話になっています。去年の夏に体調を崩し、救急搬送されまして、運よくコロナが落ち着いている時期でしたので、そのまま入院しました。高齢ゆえに回復に時間がかかり、長引く入院生活で歩行がおぼつかなくなり、筋力も低下してしまいました。歩行時、支えがないと転倒してしまうような状態で、常に見守りが必要とのことでした。コロナ禍のため、入院中は面会ができず、「いったいどうなっているのか」がわからず、家族も不安な時間を過ごしました。退院時に病院から老人保健施設の利用を勧められ、リハビリ目的で現在の施設に入所しました。

現在は手押し車を使用していますが、歩行は安定しているようです。そして体調もいいようです。面会は窓越しですが、話も通じます。多少の物忘れはありますが、入院前のボーッとした状況よりはるかにはっきりしています。一人暮らしでしたので、家でテレビを見て過ごすより、今の生活の方が刺激があるのだと思います。

そうなってくると「どこで生活するのが母にとって幸せなのか」を迷う日々がやってきました。もうしばらくは今の生活が続きますが、その先について考えていかないといけません。多分、何を選んでも正解だとは思えないのかもしれませんが、なるべく母の希望に沿う形を考えていきたいと思っています。

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親の老いと向き合う

令和4年が始まりました。

皆さんはどのような冬休みを過ごされたのでしょうか。私はクリスマスイブに学校がお休みに入ったので、比較的長い冬休みでした。それでも人間ドックに行ったり、友人とランチしたりしていたら、あっという間に年の瀬を迎えてしまいました💦

そして、いつものようにバタバタとお正月に突入しました。

例年ですと元日に初詣に行くのですが、コロナ禍になってからは行かなくなりました。今年も人がたくさんだと思われるため、初詣は後日にしました。ただ、お天気が良かったので、散歩がてら地元の神社には行ってきました。小さな神社ですが、結構な人がきていました。

そして、2日は実家に行きました。これも例年通りです。うちの家族と妹の家族が集まります。毎年、ガヤガヤと賑やかなお正月の家族行事です。

実家には90歳を超えた母親が一人で暮らしています。父親が早くに亡くなったので、それから自由に生活しています。母親はとても元気な人で、外見からは年齢が予想できません。食欲旺盛で活動的な人です。それでも、やはり年齢的なこともあり、少しずつ「老い」を感じるようになりました。

昨年、コロナで学校などがお休みになった頃から物忘れが激しくなってきたように感じています。あの期間は普段通っているところもお休みになり、刺激そのものが少なくなっていたのだと思います。そこからだんだん復活してきたように思われましたが、やはり記憶とか見当識が怪しくなりつつあるようです。

母親は料理好きでまめな人です。自分で食べるパンも手作りしていました。手先も器用でいろいろなものを作っていました。しかし、気づけば、いつの間にかそういうことをしなくなっていました。食事もほとんど買い食いで済ませているようです。ですが、お店に行くと何かを作ろうと思い、あれこれ食材を買い込んでは冷蔵庫にしまい、それを忘れてしまうことが増えているのだと思います。なので、冷蔵庫は常にパンパン。冷凍庫もパンパン。お正月に妹の家族が母親と話している間に冷蔵庫の整理をしました。賞味期限の切れた食材や傷んだ食材などがたくさんありました。それらを主人と私でどんどん袋に詰めて処分しました。

母親は古いものでも「食べる」と言いましたが、明らかに食べられる期限は過ぎたものです。細かい説明をすると余計に混乱するので、淡々と処分しました。母親は、戦争を体験している世代なのでものを大切にする習慣があり、安易に捨てることをとても嫌がります。それは、食べられないであろう食品に対しても同じです。いつもは母親の反対に屈していたのですが、今回はいわば強行突破してしまいました。これで良かったのかどうかはわかりません。冷蔵庫の中はきれいになりましたので、その点では良かったのですが、母親の気持ちを考えると「どうなのか」と考えてしまう自分がいます。

母親の見当識が下がってきていることを認識してからは二週間に1回のペースで実家に行き、日々の予定を紙に書いて確認するようにしています。そして、外出の予定がある日の朝にはメールをしています。朝「わかった」という返事が来ても忘れてしまうことがだんだんと増えてきました。しかも、本人は「行った」と思っているので、話が噛み合わないのです。

今回も「お正月でみんなが来る」ということは認識していたのですが、その日の朝にはわからなくなっているようでした。「何も用意していない」と笑ったり、「何もない」と不穏になったりしていました。まぁ、年齢を考えるとそれほどひどいわけではないのでしょうが、家族としてはショックではあります。

母親には再三同居を勧めていますが、本人が「一人がいい」というため、生暖かく見守ってきています。正直、一人暮らしはそろそろ限界なのではないかと思うのですが、母親は「一人でちゃんと生活できている」という認識なので、無理やり私たちの家に連れてくることもできません。本人の意思を無視することはできません。でもそうなると心配ばかりが膨らみます。どこか身体の具合が悪くなって不自由を感じているわけではなく、母親のペースで生活している分には大きな問題はないのだと思います。

「一人暮らしをさせておくのはいかがなものか」という思いと「無理に連れてくれば土地勘のない場所で知人もいないので刺激がなくなり、母親のためにならない」という思いがここ何年か私の中で交錯しています。おそらく正解はないのでしょう。でも、母親が可能な限り“自分らしく”生活できることが大切なことだと思うので、葛藤しながらも見守っていくことしかできないのかもしれません。

親の老いに向き合うことはとても難しいことだと感じています。

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働き方改革はできるのか?

あっという間に年の瀬になりました。本当にあっという間でした💦

今年をちょっと振り返ってみると…この一年もとても忙しかったです。日々学校での仕事に追いかけられていたように感じています。

SCもSSWも学校に出かけると定時には帰れず…。そして、学校が遠い場合は帰宅がめっちゃ遅くなり、家のことはほとんどできない日々でした。

学校というところは時間の概念が曖昧なところです。先生方は勤務時間に関係なく仕事をしています。日中は授業があって、放課後は部活があって、事務仕事はその後からになるので、本当に大変なお仕事だと思っています。そして、SC、SSWが先生方とお話をしようと思うと、やはり放課後を待たなければなりません。

SCもSSWも勤務時間の縛りがあります。勤務時間に関しては雇用している教育委員会によって異なると思うのですが、私の場合、SCには「時間外勤務」という概念がありません。つまり「時間外勤務は認められていない」ということです。『1日○時間勤務』という規定しかないのです。(ちなみにSSWの方は勤務時間を自己申告できるので、年間の勤務時間内であれば融通が利きます。)つまり、私たちはこの時間の中で勤務することになります。実はこれがとても窮屈なのです。

私のSC先は中学校なのですが、面談がとても多く、空き時間はほとんどありません。昼休みや放課後にも相談が入っています。そして、昼ごはんは別室登校の生徒たちと摂ります。このようなスケジュールなので、毎回休憩時間というものはありません。たくさん面談が入ると途中で記録をする時間が取れないので、放課後の面談が終わってから記録に取り掛かることになります。で、その後から、必要に応じて先生方と情報交換をすることになるのです。

こうやって書くと、そもそも1日○時間の勤務時間では到底無理だということがわかります。この状態が何年も続いています。ですが、個人的には「いつも忙しい」とは思いますが、「これが嫌だ」と思うことはないのです。でも、この感覚こそが問題なのかもしれません。つまり、長時間勤務することについての感覚が麻痺しているのだと思います。

仕事は長い時間働けばいいというものではありません。当たり前ですが、「長く働く=仕事熱心」ではありません。できれば“決められた時間内に”仕事を終えることが望ましいのだと思います。世の中は『働き方改革』の時代です。私たち学校で働く人間にも働き方改革は必要です。

ですが、やはり実際問題としては難しいのかもしれません。この矛盾にどう立ち向かえばいいのでしょうか。

ある学校では長時間労働を疑問視した先生が労基署にそのことを訴えました。その結果、労基署が視察に訪れ、長時間労働を是正するように指導されました。勤務時間を適正にするためにタイムカードでの勤怠管理が行われるようになりました。これで先生方の勤務時間が規定通りに守られる仕組みができました。

その結果どうなったかというと…残念ながらハッピーエンドにはなっていません。先生方は退勤時間になるとタイムカードを打刻して、その後で仕事をするようになりました。今、学校では自宅に仕事を持ち帰ることができないため、多くの業務をこなすためにはそうせざるを得ないのです。

業務量の多さや人員の余裕のなさなど、教育現場は大変です。もちろん大変なのは教育現場だけではありません。世の中の景気が悪くなると、それはすぐに「人件費の削減」という形で跳ね返ってきます。企業や自治体の予算の中で人件費の占める割合は大きいので、そこを削ることで企業や自治体は生き延びようとするのです。とりわけ対人サービスの分野では人員削減により、サービスの質や量の低下があるように思われます。

その一方で、“働きすぎの日本人”問題があり、ワークライフバランスや働き方改革が叫ばれています。

この矛盾をどのように解決していけばいいのか。本当に難しい課題だと思います。

あまりスケールの大きい社会問題を論じても答えは導き出せませんので、私は自分のフィールドで可能な限り、自分自身の『働き方改革』に取り組みたいと思います。

2022年の課題です。

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いつもの生活

 新型コロナ感染症の新規感染者数の大幅な減少により、緊急事態宣言およびまん延防止等重点措置が解除され、それまで1年半以上課せられていた様々な制限が徐々に緩められるようになりました。身近なところではデパートとか駅のショッピングセンターの営業時間が延び、仕事帰りに生活必需品以外の買い物ができるようになりました。緊急事態宣言中はもとより、まん延防止等重点措置発令中は、本屋さんも早々に閉まってしまい、洋服なども仕事帰りにゆっくり選んで買うことができませんでした。

 そして、レストランも早々に閉まっていたので、帰りが遅くなると家に着くまで何も食べることができず、とても困っていました。私は仕事先が家から遠いので、帰宅するのが常に遅くなります。17時半までの仕事でも、通勤に2時間半以上かかる場合が多いので、帰宅は早くても20時過ぎになってしまうのです。ですが、定時きっかりに帰れるとは限らず、モタモタしていると22時近くに帰宅することになってしまいます。そのこと自体はいいのですが、問題は帰り道でお腹が空いてしまうことです。コロナ禍以前はどこかで軽く食べていました。それができなくなったのが、私としては痛手でした。

 「通勤時間が長い」ということは、当然「乗り物に乗っている時間が長い」ということになります。そんなに長い路線ではありませんが、私鉄の端から端まで乗る日もあります。そしてバスにも乗ります。実は子どもの頃から乗り物酔いがあります。小学校の遠足はいつも一番前の席で先生の隣でした。修学旅行で行った“いろは坂”は大変でした。そんなわけで乗り物は苦手だったのですが、大学卒業後は車で20分かからない距離に通勤していたので、車酔いのことを忘れていました。それが長い時間バスに乗らなければいけない学校に配置されるようになり、車酔いが復活してしまいました。そして、空腹で疲れている時には電車でも酔うようになってしまいました。空腹なので気持ち悪くなるだけなのですが、それでも十分に不快ですから、できればそういう事態は避けたいところです。そんな事情もあって、帰宅の途中でちょっと一休みして軽く何かを口に入れることは、私にとっては大切なことです。それができない期間はつらかったです。

 感染者数の減少でさまざまな制限が緩和されていく中で、飲食店も21時くらいまで営業するようになりました。とても喜ばしいことです。街にも活気が戻りつつあります。停滞している経済も少しずつ回復することを願わずにはいられません。

 ですが、私たちの生活はコロナ以前の状態に戻ったのでしょうか。

 私個人のことを考えると答えは“NO”です。帰宅途中の飲食に関して言えば、多少戻りつつありますが、決まったお店にしか行けなくなりました。自分の中で「ここなら大丈夫かも」というお店にしか入れないのです。もちろん自分の基準が必ずしも正しいわけではなく、思い込みだったりするのですが…。以前のように気軽にあちこちのお店を覗いて利用することができなくなりました。動線が決まっている感じでしょうか。新しいことに対峙することを忘れてしまったように思うのです。これってなんかつまらないですよね。でも、今はそんな感覚から抜け出すことができません。「決められた枠の中で安定している」ということなのかもしれません。

 「新しいことにチャレンジしてみる」とか「ワクワクする」ことに臆病になっている自分がいます。そして、コロナ禍以前の生活を思い出せなくなっています。夜の街の酔客を見ると引いてしまう自分がいます。

 私にとっていつもの生活を取り戻すのはまだ先のようですが、皆さんはどんな感じでお過ごしなのでしょうか。

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季節の変わり目の憂鬱

もう9月も終わりますね。

暑かった夏が終わり、季節はだんだん秋へと移り変わっているようです。朝晩は涼しい風が吹くようになり、過ごしやすくなりました。

暑い夏から過ごしやすい秋へ。本来でしたら、過ごしやすい季節の到来にホッとするはずなのですが、私は季節の変わり目に弱いようです。なんとなく体調が優れません。

一年のうちで最も調子を崩すのは冬から春に向かう時期です。この時期は花粉症の季節でもあります。私は『重度の花粉症』と診断されています。何が重度なのかはわからないのですが、血液検査の結果からそのように診断されているようです。花粉症由来の食物アレルギーもあるので侮れません。「たかが花粉症、されど花粉症」です。食物アレルギーはアナフィラキシーショックを起こす可能性もあり、下手をすると命に関わると言われています。

ですが、今は夏から秋に向かう時期です。スギ花粉の季節ではありません。(イネ科のアレルギーの季節ではあります。)

では、なぜ、この時期に体調が優れないのか?おそらく暑い夏の間に身体の奥深くに溜まった疲労が涼しくなって出てきたから…だと考えています。これが正しいのかどうかはわかりませんが、涼しくなるにつれ疲労感が強く感じられるようになるのは事実です。

なので、秋は一番好きな季節であるにも関わらず、その季節の入り口ではいつも憂鬱な気分に苛まれています。何をするのも億劫になりますし、パフォーマンスが上がりません。もう少し涼しくなる頃には復調していると思うので、それまで騙し騙し生活していこうと思います。

私の場合は秋口にガクッと体調を崩しますが、気持ちが落ち込みすぎてしまう人もいらっしゃるのではないでしょうか。もう少し寒くなり、お日様の出ている時間が短くなるとなんとなく気持ちが鬱々としてくることがあります。これがいわゆる『冬季うつ』と言われる状態です。ご存知の方も多いかと思いますが、これは秋から冬にかけて症状が現れ、春には良くなる季節性のうつ病です。強い無気力感、意欲の低下、過眠や過食などの症状が見られます。

冬季うつの原因の一つとして、日照時間が関係していると言われています。冬場の日照時間が短い北欧では、冬場にうつ状態になる人が多いというデータもあるようです。日照時間がセロトニンやメラトニンの分泌に影響を与えるためにこころのバランスも崩れてしまうのです。

日照時間が私たちの心身の健康に大きな影響を及ぼすということから、当たり前のことですが、「人間は動物だな…」と思ってしまいます。冬になると冬眠する熊さんたちと同じように感じます。熊さんたちは気持ちが落ち込むから冬眠するわけではないのでしょうが、人間はお日様の出番が減ってくると眠くなったり、やる気がなくなったり…。私たちも冬眠できたら幸せだろうな。

冬場を元気に過ごすためには、朝起きたらカーテンを開けて日の光を浴びたり、軽く身体を動かしたり、バランスの良い食事を摂ることなどが大切だと言われています。無理のない範囲で規則正しい生活を心がけ、好きなことを楽しんで元気な秋を過ごしたいものですね。

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コロナ禍の子どもたち

新型コロナウィルス感染症防止のために、当時の総理大臣が小中高の一斉休校を決めたのは2020年の春でした。それから1年半が経ち、今も首都圏では緊急事態宣言が継続しています。

この一年半の間で、子どもたちの学校生活はそれまでとは異なるものになりました。

新型コロナウィルス感染症は「飛沫感染」のため、他者との接触を極力避ける必要があると言われています。このため、学校では机に仕切り板を置いたり、同じ方向を向いて黙って給食を食べたり…とさまざまな対策を講じています。遠足やキャンプ、合唱祭など、本来であれば学校生活を彩るはずの各種行事は中止され、部活動も制限されています。

このような制限の中で子どもたちは学校生活を送っています。

今、学校には「コロナが怖くて登校できない」子どもたちがいます。また、ご家庭の判断で登校を見合わせている場合もあります。いつ終わるとも知れない状況の中で、子どもたちの学ぶ権利をどのように保障するかということが今後の課題になってくると思われます。

私が日々出会う子どもたちにも長引く自粛生活の影響が現れ始めていると感じています。

中学生の場合には「やる気が起きない」とか「イライラする」「眠れない」などこころの不調に現れることが多いようです。年齢の低い児童は「お腹が痛い」など身体症状を訴えることが増えてきました。また、休校や分散登校の影響で、生活リズムが乱れたり、家でネット依存、ゲーム依存のような状態になってしまう子どもたちもいます。

ネット依存については別記事にしようと思いますが、ここでお話ししたいのは「いろいろな制限の中で頑張っている子どもたち」についてです。

真面目に大人に言われた通りに生活している子どもたちが相談室で漏らした言葉をお伝えしたいと思います。

「思い切り散歩したいのにそれができない。何かすごいことをしたいわけじゃない。好きな時に外に出かけて歩きたい」

「部活の大会も遠足も体育祭も修学旅行もなくなってしまったのに、テストとか受験はなくならない」

「なんとなくイライラして仕方ない。何をどうすれば気持ちが晴れるのかわからない」

日常生活の中で大人以上に閉塞感を感じている子どもたちの様子が伝わってきます。

彼らに対して私たち心理職は何ができるのでしょうか。私たち自身も大きな閉塞感の中に生活しています。今の私には、こういう子どもたちの声をお伝えすることしかできません。

とても歯がゆい気持ちを抱いています。

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忙しさに紛れて

前にブログの記事を書いてからずいぶん時間が経ってしまいました。

本当にお久しぶりになっています。

この間、何をしていたかというと・・・毎日、ひまわり心理社会相談室以外のお仕事をしていました。(ひまわり心理社会相談室は大々的に宣伝をしていないので、本当に細々と活動している感じです。今は学校でのお仕事がメインとなっているので、時間的にたくさんのクライエントさんとお会いすることができないということもあり、現状維持かプラス1〜2名くらいのクライエントさんが来てくださればいいな〜と考えています。)

普段の学校でのお仕事についてですが、私は公立の小中学校でSCとSSWをしています。数カ所の学校に勤務していますが、どの学校も結構忙しく、勤務時間がオーバーしてしまいがちです。1日中相談が途切れない学校もあります。

学校に勤務している人はどなたも同じだと思いますが、学校はとても忙しいところです。先生方は朝早くから夜遅くまでお仕事をされています。SC やSSWは授業が始まった頃に出勤することが多いと思うのですが、それは私も同じで大体9時前後から17時前後までが勤務時間となっています。時々感じるのは「どの学校でも私は一番最後に出勤して、割と早めに帰宅しているなぁ」ということです。(…とはいえ、いつも1時間くらいはサービス残業していますが💦)

最近は「働き方改革」とか「ワークライフバランス」ということが政策の中に掲げられるようになってきました。少子化対策の中にも「ワークライフバランス」という文言が盛り込まれています。

生活を大切にすることは仕事を大切にすることにつながると思います。反対に、仕事が立て込んでくると生活に気を配るこころの余裕がなくなります。

私の場合は、まず食事が疎かになります。なんでもよくなる。口に入ればOKみたいな感じになります。そして、家が汚くなる(笑)。掃除機はかけますが、片付けがいい加減になります。特に紙ゴミ処理(シュレッダー)をする時間がなくなり、紙類が溜まります。ダイレクトメールとか学会からのお知らせとか…結構膨大な紙に囲まれて生活していることを実感します。そして、溜まると余計に片付けるのが億劫になる。悪循環ですね。

忙しいという字は「こころをなくす」という意味だそうです。今、ちょっとお仕事などなどが忙しくてこころをなくしつつあるのかもしれません。ちょっと自分の生活を振り返り、なくしているかもしれないこころを取り戻したいと思います。

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心理援助の「場所」について

 またまたブログの記事が滞ってしまいました。

 今日はカウンセリングなどの心理援助の「場所」について考えてみたいと思います。

 前の記事で地元にある開業心理相談室が事務所を引き払い、「レンタルスペースの会議室で面接を行うようにしたらしい」ということを書きました。そのこと自体は経営者の方がそのような運営方法を考えて実践されていることなので、外野がとやかく言うことではありません。

 でも、私自身は「あそこで心理面接というのは厳しいのでは?」と思ってしまうのです。なぜならば、そこは“セミ・オープンスペース”だからです。パーテーションで区切っているのですが、声が聞こえます。私もそのレンタルスペースを利用しているので、会議室の声が漏れてくるのを体験しています。でも、これは私の「面接観?」なので正しいとか正しくないとかいうことではありません。

 心理面接が成り立つ条件としては「時間」と「場所」が挙げられます。

 「時間」というのはクライエントさんのための時間を保証するということです。「◯月△日の××時からお会いしましょう」という約束(予約)をして面接は行われます。この時間はそのクライエントさんのための時間です。これを確実に保証することが必要かつ重要なことだと思います。また、面接時間は1回何分間という取り決めを行い、それを守ることも大切です。クライエントさんによっては時間を守れなかったり、終了時間になっても終われなかったりすることがあります。私たちは、それらの時間にまつわるクライエントさんの行動も解釈の対象にしています。私はちょっと時間にルーズなところがあるのですが、心理面接を行う場面では時間を守るようにしています。

 次に「場所」です。心理面接で扱う内容は極めてパーソナルなことです。なので、プライバシーが十分に守られる空間が必要です。面談中に「第三者に話が聞こえてしまう」とか「誰かが部屋に入ってくる」というような事態はあってはならないと考えています。(学校では時々教員などが入ってきてしまうことがあり困ってしまうのですが…)レンタルスペースやカフェのような場所でのカウンセリングではこの「場所の安全」が守られないように思います。同じ環境の中で落ち着いて話ができることが必要で、私たちはそういう場を提供できるように考えていかないといけないのだと思います。

 とはいうものの「ひまわり心理社会相談室」も現時点では固有の部屋を持てていません。なかなか貸してくれる物件がなく、また、週末開業ということもあり、貸し会議室という分類にはなりますが、マンションの1室を予め同じ時間帯で借りています。「同じ時間帯で個室を借りている」というところでギリギリ自分の中の倫理的なものをクリアしているように感じています。それでもこれでいいのかどうか迷うところです。開業されている心理士の方から見ると“ツッコミどころ満載”かもしれませんが、なるべく安定した環境を維持できるようにこれからも考えていきたいと思っています。

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「開業心理相談室の厳しさ」について考えたこと

 先日Twitterで呟きましたが、地元で数年前に開業された心理相談室がありました。そこは割とお高めの料金設定でしたが、一時期はワークショップなども開催されて活発に活動されていました。複数の心理士がいて、「すごいなー」と思っていました。私の通勤経路の途中にそのオフィスがあるので、いつも何気にチェックしていました。

 ですが、ずいぶん前からそのオフィスの看板が出ていないことに気づき、気になっていました。気づき始めたあたりでコロナの自粛生活が始まり、私も駅まで車で行くようになり、そこを通らなくなったので忘れていましたが、先日何気なくそこの相談室のホームページを覗いたら、すでにオフィスを引き払われて相談場所を駅の近くにあるコインスペースに移されたようでした。びっくりしました。

 そのことでいろいろなことを考えたので、それを何回かに分けて書いていきたいと思います。その相談室に対しての意見ではなく、あくまでもその状況を知って自分が感じたことを書きます。

 まず一つ目は「開業の厳しさ」です。

 どんなに良い実践をしていても、必ずしも安泰ということはなく、様々な要件で経営が左右されるのだと思います。特にコロナの影響で世界中の経済が冷え込み、今後ますます厳しい状況の続くことが予想されます。そんな中、自費のカウンセリングや心理療法に世の中の人がどれだけの価値を見出し、そこに通おうと思ってくれるのか。

 比較的安価でカウンセリングを提供するオンラインサービスも増えてきているので、それらのサービスとの違いをどのように示して行くのか、ということを考えないといけないのでしょう。そこに何らかの付加価値がなければお金を払ってまでも来てくださることはないのだと思います。

 また、料金の問題もあるのでしょう。

 私も開業するにあたり、「カウンセリングの料金をいくらに設定するのか?」ということではずいぶん迷いました。いろいろな開業心理相談室のホームページを調べ、現在の料金設定にしていますが、これが「この地域の中でどうなのか?」ということを考えることもあります。(リーズナブルなマッサージの料金にちょこっと上乗せした額で、リフレクソロジーのコースよりはお安いという感じです。)

 そうは言っても、私にとっては仕事ですし、生活の糧でもあります。自分を必要以上に小さく見せる必要もありません。(過大に見せる必要もありません。)

 こんなことを考えると開業の厳しさをひしひしと感じてしまうのですが、自分のやりたいことをやろうという思いで始めたプチ開業ですので、頑張らないといけないですね。

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スクールカウンセラー(SC)とスクールソーシャルワーカー(SSW)について③

 前回はスクールカウンセラー(SC)のお仕事について書きました。今回はスクールソーシャルワーカー(SSW)について書いていこうと思います。

 スクールソーシャルワーカー(SSW)は教育現場では比較的新しい職種になると思います。つまり、まだよく知られていない。未知の人でもあるのかな…と思います。

 SSWとは「教育機関においてソーシャルワーカー(SW)の職に就くもの」です。

 SWというのは、主に福祉相談業務に従事する福祉職のことを指します。市役所や区役所で生活困窮に陥った人の相談に応じたり、福祉施設、介護施設などで利用者やご家族の相談に応じたりする人といえばわかりやすいでしょうか。社会福祉士や精神保健福祉士の資格を持っている人がその業務に就くことが多いようです。(役所は必ずしも資格職がSWとして仕事をしているわけではないようですが…)

 さて、教育機関におけるSWであるSSWですが、導入はSCから遅れること13年の2008年(平成20年)に文部科学省の委託事業として「スクールソーシャルワーカー活用事業」が各自治体でスタートしました。背景には、不登校などの状況には、子どものこころの問題とともに家庭、友人関係、地域、学校など、子どもの置かれている環境の問題が複雑に絡み合っているのではないかという考えがありました。

 文部科学省が平成20年12月に出した『スクールソーシャルワーカー実践活動事例集』には以下のような文言が載っています。

 いま、子どもたちを取り巻く環境の急激な変化が、いじめ、不登校、暴力行為、非行といった問題行動等にも影響を与えている。平成7年度から、文部科学省では、児童生徒の心の問題をケアするため、臨床心理の専門家であるスクールカウンセラーの導入を進め、現在、全国の公立中学校に配置するととともに、新たに、小学校への配置も進めるなど、その充実に努め、一定の成果を挙げているところである。しかし、こうした心の問題とともに、児童生徒の問題行動等の背景に、家庭や学校、友人、地域社会など、児童生徒を取り巻く環境の問題が複雑に絡み合い、特に、学校だけでは解決困難なケースについては、積極的に関係機関等と連携した対応が求められているところである。文部科学省では、こうした生徒指導上の諸課題に対応した効果的な取組を進めるため、一部の地域で活用されていた社会福祉等の専門家であるSSWに着目し、平成20年度から「SSW活用事業」を展開している。(スクールソーシャルワーカー実践活動事例集、平成20年12月より引用)

 さて、それではSSWは学校現場でどのような役割を担っているのでしょうか。ざっくりいうと「環境への働きかけ」と「関係機関等とのネットワークの活用」ということになります。

 もう少し詳しく書くと、

  • 問題を抱えた児童生徒の置かれた環境への働きかけ
  • 関係機関等とのネットワークの構築、連携、調整
  • 学校内におけるチーム体制の構築、支援
  • 保護者、教職員に対する支援、相談、情報提供
  • 教職員への研修活動等

 となっています。

 私は活用事業がスタートした時にもSSWをしていましたが、当初は、学校に行っても「お前は何者?」状態でした。完全なアウェィな中で誰もが手探りだったように思います。SSW自身も学校も教育委員会も…です。

 特に私は、初年度は県教育委員会の採用で担当地域が広く、勤務日数が少ないという採用でしたので、アウェイ感はずっと続きました。自治体によっては早い時期から週4日、あるいは常勤扱いで採用している地域もあり、そういうところのSSWさんたちがすぐれた実践報告をされているのを聞き、非常に羨ましく思ったものでした。

 今は、県ではなく市での採用になっていますが、勤務条件は週1日のままです。そして、やはり担当校が多いので活動としては不十分だと言わざるを得ません。なかなか思うような活動ができないというジレンマを抱えています。案件が増えるにつれて悩みも増えていくといった感じでしょうか。それでも、「継続は力なり」で、担当校の先生方に少しずつ顔と名前を覚えてもらえるようになり、依頼されることも増えてきました。これはとてもありがたいことですし、日々頑張っているところです。

 本当はもう少し勤務日数が増えることを希望していますが、財政の関係もあり、こればかりはなんともし難いようです。

 SSWは学校の中で徐々に認知度が上がり、活動の幅も広がってきています。多くの実践も積み上げられてきています。その活動のほんの一端を担うものとして、子どもたちの最善の利益を守るためにこれからも活動していきたいと思っています。

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