親の老いと向き合う

令和4年が始まりました。

皆さんはどのような冬休みを過ごされたのでしょうか。私はクリスマスイブに学校がお休みに入ったので、比較的長い冬休みでした。それでも人間ドックに行ったり、友人とランチしたりしていたら、あっという間に年の瀬を迎えてしまいました💦

そして、いつものようにバタバタとお正月に突入しました。

例年ですと元日に初詣に行くのですが、コロナ禍になってからは行かなくなりました。今年も人がたくさんだと思われるため、初詣は後日にしました。ただ、お天気が良かったので、散歩がてら地元の神社には行ってきました。小さな神社ですが、結構な人がきていました。

そして、2日は実家に行きました。これも例年通りです。うちの家族と妹の家族が集まります。毎年、ガヤガヤと賑やかなお正月の家族行事です。

実家には90歳を超えた母親が一人で暮らしています。父親が早くに亡くなったので、それから自由に生活しています。母親はとても元気な人で、外見からは年齢が予想できません。食欲旺盛で活動的な人です。それでも、やはり年齢的なこともあり、少しずつ「老い」を感じるようになりました。

昨年、コロナで学校などがお休みになった頃から物忘れが激しくなってきたように感じています。あの期間は普段通っているところもお休みになり、刺激そのものが少なくなっていたのだと思います。そこからだんだん復活してきたように思われましたが、やはり記憶とか見当識が怪しくなりつつあるようです。

母親は料理好きでまめな人です。自分で食べるパンも手作りしていました。手先も器用でいろいろなものを作っていました。しかし、気づけば、いつの間にかそういうことをしなくなっていました。食事もほとんど買い食いで済ませているようです。ですが、お店に行くと何かを作ろうと思い、あれこれ食材を買い込んでは冷蔵庫にしまい、それを忘れてしまうことが増えているのだと思います。なので、冷蔵庫は常にパンパン。冷凍庫もパンパン。お正月に妹の家族が母親と話している間に冷蔵庫の整理をしました。賞味期限の切れた食材や傷んだ食材などがたくさんありました。それらを主人と私でどんどん袋に詰めて処分しました。

母親は古いものでも「食べる」と言いましたが、明らかに食べられる期限は過ぎたものです。細かい説明をすると余計に混乱するので、淡々と処分しました。母親は、戦争を体験している世代なのでものを大切にする習慣があり、安易に捨てることをとても嫌がります。それは、食べられないであろう食品に対しても同じです。いつもは母親の反対に屈していたのですが、今回はいわば強行突破してしまいました。これで良かったのかどうかはわかりません。冷蔵庫の中はきれいになりましたので、その点では良かったのですが、母親の気持ちを考えると「どうなのか」と考えてしまう自分がいます。

母親の見当識が下がってきていることを認識してからは二週間に1回のペースで実家に行き、日々の予定を紙に書いて確認するようにしています。そして、外出の予定がある日の朝にはメールをしています。朝「わかった」という返事が来ても忘れてしまうことがだんだんと増えてきました。しかも、本人は「行った」と思っているので、話が噛み合わないのです。

今回も「お正月でみんなが来る」ということは認識していたのですが、その日の朝にはわからなくなっているようでした。「何も用意していない」と笑ったり、「何もない」と不穏になったりしていました。まぁ、年齢を考えるとそれほどひどいわけではないのでしょうが、家族としてはショックではあります。

母親には再三同居を勧めていますが、本人が「一人がいい」というため、生暖かく見守ってきています。正直、一人暮らしはそろそろ限界なのではないかと思うのですが、母親は「一人でちゃんと生活できている」という認識なので、無理やり私たちの家に連れてくることもできません。本人の意思を無視することはできません。でもそうなると心配ばかりが膨らみます。どこか身体の具合が悪くなって不自由を感じているわけではなく、母親のペースで生活している分には大きな問題はないのだと思います。

「一人暮らしをさせておくのはいかがなものか」という思いと「無理に連れてくれば土地勘のない場所で知人もいないので刺激がなくなり、母親のためにならない」という思いがここ何年か私の中で交錯しています。おそらく正解はないのでしょう。でも、母親が可能な限り“自分らしく”生活できることが大切なことだと思うので、葛藤しながらも見守っていくことしかできないのかもしれません。

親の老いに向き合うことはとても難しいことだと感じています。

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