長引く台風とお米不足

先週から日本列島に長い間滞在している台風10号ですが、そろそろ温帯低気圧に変わったのでしょうか。今回の台風は雨台風だったようで、各地で冠水、浸水などの被害が出ています。台風の被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

今回の雨は相当なものでした。私の住む地域でも避難勧告が出されていました。「土砂崩れと河川の氾濫の危険性が高い」とのことでした。テレビで繰り返し映された“車が冠水している駐車場”は自宅から割と近い場所でした。災害は人ごとではありません。我が家も丘の上に建っています。幸いにもこれまで崩れたりすることはありませんでしたが、最近の異常気象では何が起こるかわかりません。「自分は大丈夫」と思いたいのですが、そういうわけにもいきません。備えあれば憂いなし。いや、どれだけ備えても憂いは残ります。

そう。私たちは自然の脅威に怯え、大きな不安の中で日々の生活を送っています。何もないことを願いながらも様々な不安と対峙して生きています。自然災害だけではなく、事故や事件、人災と言われるものもあります。

そんな中、みんなの不安が今の米不足に現れているように思われます。今、どこのお店に行ってもお米が買えません。我が家では生協の宅配を利用していますが、毎週のようにお米を注文しても届きません。スーパーのお米の棚もすっからかんです。我が家のお米も底をつきそうです。

ニュースでは「9月になったらお米の流通が元に戻る」「米不足は解消する」と言っていましたが、本当でしょうか。今日から9月ですし、今日もスーパーにお米はありませんでした。

人は不安になると買い占めに走るのでしょうか。

私が子どもの頃はトイレットペーパーの買い占めがあり、母親は必死になってトイレットペーパーを買いに走っていました。みんな取り憑かれたように買い漁っていました。これも不安のなせる技だったのでしょうか。

人は「不足するかも」「なくなるかも」に弱いですね。そういう状況になると思うと不安が高まり、「なるべく多く持っていなくては大変」と考えてしまうのでしょう。でも、これって私たちの普段の消費行動がある意味“激化”した形ですよね。普段の買い物でも「あれ、足りないかも」とか「いくつあっても困らないから」とか「足りないよりいいか」という気持ちでモノを買っているような気がします。私たちの中に“何となく家の中に備蓄があると安心する”みたいな気持ちがありそうです。それが高じるとモノだらけになりますし、その反動としてミニマリストという考え方が出てきたようにも思います。

私はどちらかというと“モノがたくさんあると安心するタイプ”でミニマリストとは対極にいます。でもたくさんあっても足りないような気持ちを感じることもあります。これって“欲深い”ということなのでしょうか。

話が逸れつつありますが、今回のお米不足に困りつつ、なんとなくいろいろなことを考えたりしています。

それにしてもお米…。

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